中世の町並み

最近、猛威をふるっているクラミジアと違い、梅毒や淋病はかなり昔から人々を悩ませてきました。

それは、伝記に出てくるような歴史上の人物も例外ではありません。

特に、病期が進むと悲惨な最後を迎える梅毒は、多くの人物の寿命を縮めてきました。

この記事では、梅毒や淋病に悩まされた歴史上の有名な人物をまとめてみました。

梅毒と淋病の歴史

コロンブス

古くから人類を悩ませてきた性病といえば、梅毒と淋病が双璧でしょう。

梅毒がいつ文明社会に出現したかは諸説ありますが、一般にコロンブスが1492年にアメリカ新大陸を発見(実際には西インド諸島のサンサルバドル島 or ハイチ島)し、その時に現地で感染してヨーロッパに持ち帰ったとされています。

まるでコロンブス本人が梅毒にかかって、ヨーロッパに広めた張本人のように思われていますが、実際には同行した船員が現地人と性交渉して感染したといわれています。

ちょっとコロンブスがかわいそうですね。

ヨーロッパなどの旧大陸にも古代から梅毒はあったという説もあります。

コロンブス以前の旧大陸の人の遺骨に梅毒の痕跡があるというのが根拠でしたが、最近の研究では、梅毒の痕跡とされていたものは症状の似たイチゴ腫によるものであるらしいことがわかってきました。

本当にコロンブス本人が梅毒をヨーロッパに持ち込んだかどうかはともかく、当時に新大陸から旧大陸へ梅毒が伝わってきたのは間違いないでしょう。

バスコ・ダ・ガマが1498年にインド航路を発見したことで、梅毒は東南アジアや中国にも感染が広がり、日本では1512年に現在の大阪で最初の患者が発見されています。

大阪から梅毒が広がった

当時、世界中に梅毒が一気に駆け巡ったことがうかがえますね。

一方、淋病の歴史はもっと古く、記録が残っているのは紀元前400年頃に、医学の父と呼ばれるヒポクラテスが、淋病のことを”ビーナスの喜び”と呼んで書き記したのが最初だといわれています。

ビーナス

なぜ、”ビーナスの喜び”なのかはわかりませんが、梅毒に比べると淋病は深刻には捉えられていなかったんでしょうね。

世界のその他の地域でも感染は広がっていたらしく、古代中国やエジプトなどにも淋病の記録が残っているそうです。

しかし信頼できる正式な記録となると、中世イギリスまで時代を進めなければなりません。

英国議会

1611年に英国議会において、淋病のまん延が抑制されることを保証した法律が制定されていて、これが公式な淋病の記録の最初と考えられています。

正式な記録が出てくるまでにヒポクラテスの時代から中世イギリスまで長い年月がかかっているとはいっても、その間に淋病のまん延がなかったということではないでしょう。

実際には時代を通じて淋病はあったはずですが、淋病は梅毒のように悲惨な末期を迎えるわけではないので、ヒポクラテスが淋病のことを”ビーナスの喜び”と呼んだように、当時の人たちは淋病を軽く考えていたのでしょうか?

近世になっても梅毒にかかることは男の勲章で、梅毒を乗り越えた男は絶倫になると考えられていたそうですから、淋病にかかることなんて、なんとも思っていなかったのかもしれませんね。

梅毒にかかった歴史上の人物

梅毒にかかった歴史上の人物

コロンブスの時代以降、梅毒に悩まされた歴史上の人物はたくさんいます。

以下に、梅毒にかかっていたという人物を列挙していきます。

ただ、記録や文書に残っていても、当時は梅毒を正確に診断できる時代ではないですから、本当に彼らが梅毒にかかっていたという保証はありません。

残された記録の病の様子から、梅毒であったのではないかとされているのがほとんどです。

海外の有名人

シャルル8世

フランス国王(在位1483-1498)。

コロンブス一行が最初に戻ったのはスペインで、あっという間にバルセロナ中の娼婦に感染が広がったといいます。

シャルル8世はフランスにいたのですが、1494年にイタリア征服のための遠征軍を送りました。

多国籍軍の遠征軍には梅毒を持ったスペイン兵も参加していて、他国の兵の間にも一気に広まります。

当然、遠征先のイタリアでも梅毒を撒き散らし、遠征後、自国に帰った兵隊たちがヨーロパ中に梅毒をまん延させることになったといわれています。

フランスも例外ではなく、シャルル8世も自軍が持ち帰った梅毒に感染し、梅毒がもとで若くして亡くなってしまいました。

シャルル8世は、有名人で梅毒になった人の最初の人じゃないでしょうか。

アレクサンデル6世

ローマ教皇(在位1492ー1503)。

本名はロドリゴ・ボルジアで、惣領 冬実さんの歴史コミック「チェーザレ 破壊の創造者」の主人公チェーザレ・ボルジアのお父さんにあたります。

時代からすると、コロンブス一行が梅毒を持ち帰ってから、ほぼ初期に感染した人ですね。

政敵のユリウス2世(ローマ教皇在位1503ー1513)も娼婦を次々に愛人にして、梅毒にかかっていたといいますから、ローマ教皇が2代続けて梅毒になっていたということです。

ヘンリー8世

イングランド王(在位1509-1547)。

イングランドの教会をカトリック教会から分離させ、イングランド国教会を設立した王として知られています。

晩年は過食から肥満となり、健康を害して亡くなったとされていますが、長年患っていた梅毒が原因だったともいわれています。

イワン4世

モスクワ大公(在位1533-1547)

”雷帝”という異名を持つほど激しい性格で、ロシア史上最悪の暴君と呼ばれています。

青年時代から動物を虐殺するような嗜好はあったものの、もともとは信心深い人だったようです。

のちに貴族を大量虐殺したり、噂だけで数千人の住民を虐殺するような残忍な”雷帝”となったのは、一説には梅毒が原因であったともいわれています。

ハインリヒ・ハイネ

ドイツの詩人、作家、文芸評論家(1797-1856)。

ロマン派の詩人で詩集「歌の本」で知られます。

ハイネも梅毒に悩まされ、晩年は麻痺がでてきて、一時は死亡説も流れました。

実際になくなるのはそれから8年後です。

その8年間は不自由な体で外出もできず、病床に伏せ続けて亡くなったそうです。

フランツ・シューベルト

オーストリアの作曲家(1797-1828)。

交響曲「未完成」歌曲「野ばら」「魔王」などを代表作とするシューベルトも梅毒に悩まされた口です。

ゼレチュのエステルハーチー伯爵の城に滞在していた頃に、小間使いとして城で働いていた女性と性行為をしたために、梅毒に感染してしまったことはほぼ間違いないとされています。

一般に、最後も梅毒で亡くなったとされますが、国際フランツ・シューベルト研究所によると、実際には当時、梅毒治療に有効だと信じられていた水銀軟膏による水銀中毒が直接の原因だとしています。

ロベルト・シューマン

ドイツの作曲家(1810-1856)

ベートーヴェンやシューベルトの後継者といわれたロマン派の作曲家です。

(ベートーヴェンも梅毒説があって、耳が聞こえなくなったのは神経梅毒によるともいわれます。)

シューマンほど死因で梅毒が取り沙汰された有名人も珍しいでしょう。

青年時代から神経梅毒によると思われる麻痺、言語障害、けいれん、めまいなどの症状があり、死因も神経梅毒による全身麻痺だったとされています。

長年、シューマンの死因がなんだったのかは論争の的だったのですが、近年になって当時のカルテが公開されて、梅毒による進行性麻痺だったことが公表されています。

シャルル・ボードレール

フランスの詩人、評論家(1821-1867)

代表作に「悪の華」「パリの憂鬱」などがあるボードレールは、女性関係が派手で十代ですでに娼婦から淋病をうつされています。

20歳の時に、半ば強制的にアフリカからアジアへ向かう船に乗せられて、南洋へ乗り出していますが、途中で下船して帰国しています。

この頃に愛人のジャンヌ・デュヴァルと出会い、前後して梅毒に感染したといわれています。

ベドルジハ・スメタナ

チェコの作曲家(1824-1884)。

スメタナといえば、交響詩「わが祖国」の第2曲の「モルダウ」が有名で、滔々と流れる大河をほうふつとさせる印象的なメロディーは、誰もが一度は耳にしたことがあるでしょう。

晩年、スメタナは精神疾患を患い、精神病院でその生涯を遂げています。

病院での記録上は老人性認知症となっていますが、家族は梅毒で死んだと信じていて、のちの研究者も梅毒だった可能性を主張しています。

エドゥアール・マネ

フランスの画家(1832-1883)。

誰もが見たことがある「笛を吹く少年」を代表作に持つ、印象派の画家です。

ボードレールとは仲がよく、彼の愛人ジャンヌ・デュヴァルを「ボードレールの愛人」で描いています。

晩年は、梅毒によるものと思われる左足の壊疽から歩けなくなり、足を切断までしましたが、それからすぐに亡くなっています。

フリードリヒ・ニーチェ

ドイツの哲学者(1844-1900)。

「神は死んだ」のフレーズで知られる実存主義の先駆者。代表作に「人間的な、あまりにも人間的な」「ツァラトゥストラはかく語りき」。

晩年の10年間は精神を病んで廃人同様の状態で、原因が若い頃にかかった梅毒による神経梅毒症状だったといわれています。

ポール・ゴーギャン

フランスの画家(1848-1903)。

ポスト印象派の画家で、タヒチを題材にした作品が有名。

ゴッホと仲がよく、共同生活を送ったこともあります。

若い頃に恋人から梅毒をうつされ、晩年は視力の低下、足の痛み、衰弱がひどくなり亡くなったそうです。

友人のゴッホが自分の耳を切ったのも梅毒が原因ではないかといわれています。

ギ・ド・モーパッサン

フランスの作家(1850-1893)。

「女の一生」を代表作とする自然主義の作家で、日本の作家にも影響を与えたといわれます。

先天性梅毒であり、若い頃にあらたに梅毒に感染したといわれます。

晩年はやはり神経梅毒による精神疾患に苦しみ、最後は発狂して精神病院に入院したまま亡くなっています。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

フランスの画家(1864-1901)。

モダンなムーラン・ルージュのポスターの作者として有名です。

お酒に溺れ、アルコール中毒と患っていた梅毒で衰弱し、脳出血によって36歳の若さで亡くなっています。

アル・カポネ

アメリカのギャング(1899-1947)。

マフィアの代名詞のようなもっとも有名なギャングで、映画「スカーフェイス」や「アンタッチャブル」を始め数々の映画のモデルになっています。

若い頃に梅毒に冒され、アルカトラズ刑務所に収監された頃には悪化し、神経梅毒による痴呆も出てきます。

のちに、梅毒の特効薬であるペニシリンが発明され、アル・カポネは民間人でペニシリンを投与された人となりましたが、梅毒が進行しすぎていたために効果はなかったそうです。

ランドルフ・チャーチル

イギリスの政治家(1849-1895)。

有名なイギリス首相ウィンストン・チャーチルの父親。

神経梅毒による錯乱などが出ていたようで、息子のウィンストン・チャーチルは正気を失ったランドルフからひどい扱いを受けていました。

晩年は妻に銃を向けることもあったそうです。

日本の有名人

黒田孝高

戦国武将(1546-1604)。

大河ドラマにも取り上げられた、通称の”官兵衛”で知られていますね。

豊臣秀吉の参謀として高い知力を発揮していましたが、最後は梅毒で亡くなったとされています。

黒田孝高は頭巾を愛用していたのは、ゴム腫によるできものを隠すためだったと言われています。

感情の起伏が激しかったり奇行が目立ったのも、神経梅毒の症状だったともいわれます。

知力で名を馳せた黒田孝高ですが、最後は脳梅毒に冒されるなんて皮肉ですね。

加藤清正

戦国大名。熊本藩主(1562-1611)。

豊臣秀吉の家臣として文禄・慶長の役に出征したことで知られています。

朝鮮出兵中にトラを退治したという逸話(本当は黒田長政)が有名ですね。

死因には暗殺説もありますが、好色のため冒された梅毒が原因とされています。

前田利長

戦国大名(1562-1614)。

加賀百万石の基礎を作った加賀藩初代藩主。

梅毒によるできもの(悪性腫瘍という説もある)が悪化して床に伏せ、最後は病死したとされています。

自ら毒を飲んで命を断ったという説もあります。

結城秀康

戦国武将(1574-1607)。

徳川家康の次男で、越前松平家の初代です。

結城家に養子に出されていましたが、関ヶ原の戦い後に越前に国替えされました。

朝鮮出兵時に加藤清正や浅野幸長とともに、遊女から梅毒をうつされたといわれています。

晩年は、ゴム腫により顔のあちこちにできものができて、見られない容姿になっていたといいます。

徳川忠吉

戦国武将(1580-1607)。

徳川家康の四男で、徳川幕府の樹立に貢献した徳川四天王の一人。

28歳という若さで亡くなっていますが、関ヶ原の戦いでの傷が元で亡くなったされる一方で、梅毒で亡くなったという説もあります。

浅野幸長

戦国武将(1576-1613)。

豊臣時代の五奉行の一人で、紀州藩初代藩主。

結城秀康のところで述べたように、朝鮮出兵時に梅毒に感染したといわれています。

志賀直哉

日本の小説家(1883-1971)。

「暗夜行路」「城の崎にて」などで知られる、白樺派を代表する小説家です。

ネット上では、梅毒で亡くなった有名人としてよく名前が上がるのですが、調べても梅毒感染を裏付けるような資料は見つけられませんでした。

一般には、肺炎で亡くなったとされていて、真偽のほどはわかりません。

芥川龍之介

日本の小説家(1892-1927)。

「蜘蛛の糸」「羅生門」「河童」などを書いた日本を代表する小説家です。

最後は大量の睡眠薬を飲んで自殺を図ったことで有名ですが、若い頃から遊郭で遊ぶ人だったようで、中国に行った時に梅毒に感染したことは間違いないようです。

そのため神経梅毒から来る症状が、自殺を後押しする要因になったのではないかともいわれています。

淋病にかかった歴史上の人物

淋病にかかった歴史上の人物を探しても、梅毒と違ってあまり情報は出てきません。

想像ですが、あまりにポピュラーな性病だったので、記録にも残されないものだったのかもしれません。

昔は淋病が梅毒の症状の1つと考えられていたこともあったので、間違って記録されているなんてこともあるかもしれません。

あるいは、当時は梅毒と淋病が同時に感染していることも珍しくなかったはずなので、ごちゃ混ぜになってしまっているのかもしれませんね。

そんな中、記録や記載の残っているものとしては、梅毒のところで挙げたボードレールや江戸初期の佐賀藩主鍋島勝茂(1580-1657)は淋病に苦しんだとされています。

近代では、日本初の女医となった荻野吟子(1851-1913)が、夫からうつされた淋病に苦しみ医学を志すきっかけになったことが有名です。

まとめ

こうしてみてみると、これだけの有名な人たちが性病に苦しんできたのですから、庶民の間でもどれほどまん延していたかが想像できますね。

歴史に名を残した人は有名税というわけでもありませんが、後世になっても性病にかかっていたことを取り沙汰されるなんて、ちょっとかわいそうな感じもします。

私たちは名を残すなんてことはまずありませんが、健康のために日頃の予防や性病検査に力を入れていかないといけませんね。

梅毒の詳細は>>>梅毒ってどんな病気?原因・感染ルート・症状など徹底解説!

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